2016年04月の記事 - 新生itachizm
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第十一話「第七霊災」

カルテノーに、ダラガブが落ちた…?

ベルクが言った言葉を頭の中で反芻する。
その言葉はヒヤリとした実感を伴ったが、ひどく頭が混乱していて、そのときは深く考える余地がなかった。

客や女たちをかき分けて娼館の外に飛び出してみると、あたりは想像以上に酷い有様だった。
上層のあちこちから火の手があがり、人々が悲鳴をあげながら逃げ惑っている。
空は赤々と不吉な色に染まり、ときおり大きな火球が空を横切っていった。それに続いて轟音と地響き。
大きな火球の多くはウルダハ以外に落下しているようだが、いつも見慣れた尖塔がいびつな形になっていた。なにかが直撃して被害が出ているようだ。

町中のエーテライトがすべて使えなくなっていたので、火の手があがっているところを避けながらいくつもの回廊を走った。
あたりはもうもうとした黒煙が立ち込めていて、火事で焼け出された人や怪我人があちこちに座り込んでいる。煙を吸わないようにするのがやっとだったが、そうした混乱のさなかであっても、衛兵や市民たちが協力して消火活動を行っていた。
ウルダハは石造りの都市だから、たとえ火事が起きたとしても、可燃性のものさえなんとかすれば、火が広範囲に燃え広がることはないはず。こういうとき市民の結束は固い。
火は上に向かって燃え広がる。下層のほうは幸いにも火災が起きていないらしく、階段を下りるたびに煙が薄くなっていくのがわかった。
そしてようやくナル大門が見えてきたころに、ありえないものを目撃した。

筋肉が分厚く盛り上がった、まるで熊のような黒い巨体。太い尻尾。
手には石槍や両手斧を持ち、ジャラジャラとした飾りをたくさん身に着けている。
砂漠地帯にアマルジャ族という獣人が住んでいると聞かされていたが、本物をこの目で見たのは初めてだった。

普段ウルダハに寄り付きもしないくせに、騒ぎに乗じてやってきたらしい。
やつらは三、四体でかたまって、低い唸り声を発しながら、門のあたりをうろついていた。
足元にはやつらの犠牲となったのか、流民たちの死体が転がっている。外からウルダハに逃げ込んだものの、逃げきれずにやられたのだろう。
目を凝らしてみると、大門の向こうに焼け落ちてくすぶっている天幕群が見えた。なんてことだ…。

獣人は魔物ではない。知能もある。そして残虐だ。
獲物を捕らえると、生きたまま火炙りにする。彼らの信奉する火の神の贄とするためだ。
見つかったら命はない。全力で逃げろ。

どうしてこんなときに母の言葉を思い出すんだろう。
母が俺を脅かすために考えた作り話だとばかり思っていたのに、本物のアマルジャ族を見た途端、それが真実だとわかってしまった。

こちらは丸腰でしかも怪我をしている。武器はもちろん、戦う術もない。
物陰に隠れて様子を伺いながらどうやって通過しようかと思案していたら、武装した一団が雄叫びをあげながら獣人たちに斬りかかって行くのが見えた。どうやら自警団が市内を守っているらしい。
獣人たちの注意が彼らに向いたのを確認して、俺は路地を飛び出した。

マーケットと住宅街の方面から、荷物を抱えた市民たちがぞろぞろと逃げてくる。
中にはアマルジャ族から逃げ延びた流民たちも混ざっていたが、この非常時にとやかく言う者はいないようだった。
一方で、武装した一団が逃げる市民とは反対方向に走っていく。

「負傷者と病人、戦えない者はアルダネス聖櫃堂へ!」

誰かがそう叫ぶのが聞こえた。
なるほど、あそこなら入り口が一箇所だから人々を守るのにも適しているはず。
救護所も設置されているだろうし、ドリスを避難させるならそこがいいかもしれない。

人の流れに逆らってようやくたどり着いた自宅は、この騒ぎの中でもいつもどおりひっそりとしていた。
周囲は人気がなく、どこも真っ暗だ。近所の人たちはとっくに避難したのかもしれない。
とにかくドリスの安否を確認しないと…と焦って扉を開けたら、暗い家の中に小さな人影が見えた。チャチャピだった。
扉の開く気配で振り向いて、俺に気づくなりぱたぱたと駆け寄ってくる。
辛いのを我慢していたのか、抱きつくと急に身体を震わせて嗚咽を漏らしはじめた。

「ダラガブが…カルテノーに落ちたって…。あそこにママルカがいるのに…どうしよう…!」

そうだ、ママルカはカルテノーにいたんだ…。
さきほど見た幻を思いだして、背筋がヒヤリとした。
あれが現実に起こったことだなんて思いたくもない。
しかし、ダラガブが落ちたというのは、どうやら真実のようだ。いったい、カルテノー周辺は今どうなっているんだろう。

「大丈夫、大丈夫だ。」

なんの根拠もない。ママルカの安否を確認する術などないのだから。
むしろ自分が信じたくてそう言ったのかもしれない。
泣きじゃくるチャチャピを落ち着かせるために、俺は跪いて彼女をぎゅっと抱きしめた。背中を優しく叩く。

「ママルカは絶対に死なないって約束したよ。」
「また! あいつってばムサシとばっかり! 私にはなにも言わなかったのに! 馬鹿!」

泣きながらチャチャピが怒った。
それでも、悲嘆に暮れているよりはずっといい。少なくともウルダハはまだ危機を脱していない。

「ママルカはチャチャピのことを守りたいからって戦場に行ったんだ。」
「それ、本当?」
「うん。」

チャチャピに本音を話さないのはあいつの悪い癖なのかもしれない。
けれども、あのときママルカが言った「チャチャピを守りたい」という言葉は本気だと思った。
だから、ママルカがいつもチャチャピのことを大切に思っていたこと、いつだったか、チャチャピが倒れたと聞いて血相を変えていたことなどを話した。
チャチャピはしゃくりあげながら黙って聞いていたが、やっと落ち着いたのか、俺から離れて袖でごしごしと顔を拭った。
目を赤くして少し照れくさそうにしている。

「ドリスが心配で見に来たの。薬のおかげで発作は起こさなかったみたい。」
「良かった…。見にきてくれてありがとう。」

ふと、チャチャピが背中に背負っている荷物を見て思いだした。そうだ、荷造りをしないと。
立ち上がったら、チャチャピが俺の顔を見てぷっと吹き出した。

「ムサシ、あなた煤でひどい顔してる。」
「上層であちこち火事が起きてるんだ。ものすごい煙で視界も悪くてさ…。」

目がちくちくしたので上着の袖で顔を拭ったら、煤で真っ黒になってしまった。
顔を洗いたいけれども、そんなことをする時間すら勿体無い。
物入れから肩掛けカバンを引っ張りだし、中に丸めた毛布と水袋、ドリスの薬を入れた。着替えは持っていく余地がないから、落ち着いたらまた来よう…。
それからふと思い出し、ベルトに剣帯を通して愛用の短剣を吊るした。
獣人相手に役に立つかわからないが、丸腰よりマシだ。

「逃げてくる途中、大門でアマルジャ族を見たんだ。市民はアルダネス聖櫃堂に避難しろって。」
「こんな大変なときに攻めてくるなんて、アマルジャのやつ!」
「混乱しているからこそ攻めてくるんだと思うけどね…。」
「ん? それもそうね。」

ちょっと笑ってしまった。ユーモアは絶望の中で唯一輝く希望の光だったっけ。
こういうときだからこそ冷静にならないと。パニックになってしまっては正常な判断もできない。

「ドリスを避難させるのはあなたに任せるわ。私はこのあたりで逃げ遅れた人がいないか探しながら聖堂に行くから。」
「君の家族は?」
「実家はウルダハ郊外よ。地下に作物の貯蔵庫があるから、みんなそこに隠れていると思う。アマルジャたちは野菜には興味ないと思うから、たぶん大丈夫。」
「わかった。アマルジャには気をつけて。」
「かくれんぼは得意よ。あなたたちも気をつけてね。」

手を振ってチャチャピと別れた。
急いでドリスの寝室へ行くと、彼女はベッドに横たわったまま苦しげに息をしていた。
額に手をあててみると冷たかった。少し貧血を起こしているようだ。

「ドリス、ドリス。」

声をかけて揺さぶると、うっすらと目を開いた。俺の顔を見て微笑む。

「良かった…無事だったのね…。」
「避難するよ。ちょっと苦しいだろうけど、しばらく我慢して。」
「ムサシ、私はここに残るわ。」

弱ってはいるものの、ドリスの瞳に強い意思を感じた。
そうだ、彼女はこういう人だった。こうと決めたら絶対にそれを貫く。

「私はもう長くない。私のために自分を犠牲にしようとしないで。お願い。」
「嫌だ。そんなの嫌だ。絶対に諦めない。」

いつもは彼女の言うことには素直に従っているのだが、今回ばかりはそうも言っていられなかった。
頑ななドリスを説得するために俺は必死だった。

「ドリスが諦めてしまったら、俺はまた大事な人を見捨てなきゃいけない。そんなの絶対に嫌だ。」
「ムサシ…。」
「最後まで諦めないで。レオンがここにいたら絶対にそう言うよ。」

ドリスの身体を起こし、上着を彼女に着させる。
それからベッドに腰掛け、肩につかまるよう促した。
彼女がおとなしく従ってくれたので安堵したが、そういえば背中に傷があることを忘れていた。ドリスを背負った途端に鋭い痛みが走って、思わず呻き声をあげてしまった。

「怪我をしているの?」
「だ、大丈夫…。手当してもらったし、たいした傷じゃないよ。」

強がりを言ってしまったが、実は脂汗をかくほど痛かった。ドリスに顔を見られないのが幸いだ。
そういえば傷が深いところは縫ったほうがいいってベルクに言われていたっけ。化膿止めも飲んでおかないと、熱が出てしまうかもしれない。

ドリスの身体は不安になるほど軽く、そして小さかった。
荷物のはいったカバンを肩から斜めがけにし、腰には短剣を吊るしているが、大丈夫、これなら聖堂まで行けそうだ。
心臓の鼓動にあわせて背中がズキズキと痛んだが、その痛みはむしろ挫けそうな気持ちを奮い立たせてくれた。
心が決まるとドリスを背負って家を出た。空は真っ赤に燃え、轟音とともに地面が震える。ときおり悲鳴も聞こえてくる。
ここから聖堂までは階段を降りて大通りをひとつ横切り、大門の前を通ったらあとは道なりだ。

「怖かったら目を瞑ってて。」
「大丈夫、怖くなんかないわ。」

彼女の声はひどく穏やかだった。何故だろう。顔は見えないけれど、ドリスが微笑んでいるような気さえする。
相変わらず轟音と地響きは続いているし、ウルダハも混乱してひどい有様なのに。
背中でドリスがつぶやいているのが聞こえた。

「あなたにおぶってもらう日がくるなんて。いつの間にか大きくなったのね。うちに来たときはほんの小さな男の子だったのに…。」

なんだか昔を懐かしむような口調だ。

「レオンが凍えたあなたを連れ帰ってきたとき、何故だかどうしても手放したくなくなってしまって。最初は私の我儘なのかと思ったのだけれど、孤児院へ預けるつもりだったレオンさえも、あなたは虜にしてしまった。」

レオンはドリスの頼みは断れないと言っていた。
けれども、ミコッテであることで俺がからかわれると、こいつは俺の息子だと言って、いつも身を張って守ってくれた。

「あなたはなかなか心を開いてくれなかったわね。でも、すごく勉強熱心だったし、笑うと可愛くて。夜中にあなたがいないことに気づいたときは、私、不安で心臓が止まりそうになってしまった。」

そうだ、あのころはまだふたりに変な遠慮があったんだ。
理由もなく俺に親切にしてくれる人がいるのが信じられなくて、自分からふたりを遠ざけてしまっていた…。

ドリスは饒舌にあれこれ話していたが、もしかするとそれは不安の裏返しだったのかもしれない。
俺はというと、ドリスを一刻もはやく安全な場所に連れて行かなくてはという焦りと、まるでナイフで刺されているかのような背中の痛みをこらえるのに必死で、彼女に生返事をするのがやっとだった。

ふたりでじっくり話す機会など滅多にあるものではなかったのに、どうしてあのとき、彼女の話をもっとしっかり聞いてあげなかったんだろう。まもなく彼女と別れることになるとわかっていたら、避難を急ぐこともなく、彼女と顔をあわせて語り合うことだって出来たかもしれないのに。

それだけは今になってもときおり後悔する。
そしてドリスがもうどこにもいないことを思い出して胸が痛くなる。



ふたたび獣人の集団と遭遇したのは、まだ命名されていない新門のそばを通るときだった。
不滅隊の本部とも近いので自警団もいるだろうとタカをくくっていたのだが、アマルジャ族の襲撃に対応しているのか、こちらはもぬけのカラだった。
あたりには聖堂に向かう市民の姿もない。獣人の恐ろしげな姿を見て引き返したのかもしれない。

空は赤く不吉な色に染まったまま、普段よりは多少明るいのだが、なにせ俺は夜目が効かない。しかもアマルジャたちは肌が黒いので、暗いところにいるとよく見えない。
だから、門のそばの暗闇から低い呪詛じみた唸り声が聞こえたときには、もう手遅れだった。
油断したと悟った瞬間、なにか猛烈な空気の圧力が襲ってきて、一瞬気が遠くなりかけた。背中のドリスがガクリと力を失う。
俺がすんでのところで気を失わずに耐え切れたのは、背中の痛みのおかげだ。
それでも頭が激しくくらくらし、足がふらついた。目が霞んでよく見えない…。

ふと腰に下げている短剣のことを思い出したが、ドリスを背負っているので両手がふさがっている。
アマルジャに背を向けるなど愚の骨頂だと思ったが、それでも今は逃げるしかないと思った。
聖堂に向かって街灯が続いているから、それを目印に走ればいい。

俺が眠りの呪文に抵抗したうえ、よろめきながらも走りだしたことにアマルジャたちは怒りの声をあげた。
背後から複数の気配が迫ってくるのを感じていたが、振り返る余裕すらなかった。
だから、アマルジャが俺に向かって槍を投げたことなんか知らなかったし、逃げる俺たちを見つけて、稲妻のような飛び蹴りで槍を叩き落とした人物がいたことにも気づかなかった。

「足を止めるな! そのまま走れ!」

助っ人の声に勇気づけられ、俺は必死に走った。
いつのまにか背中の傷が開いて服に滲みを作るほど出血していたのだが、このときばかりは痛みを感じる余裕すらなかった。

聖堂の手前には簡単なバリケードが作られていて、数人の自警団が守りを固めていた。
ドリスを背負った俺がよろめきながらたどり着くと、幾人かが駆け寄ってきて手を貸してくれた。
扉が小さく開き、中から治療者の服を着たヒューランの女性が出てきた。俺はドリスの心臓が悪いこと、アマルジャから眠りの呪文を食らったことなどを話した。
彼女は小さく頷くと、まわりの数名に何事か話しかけた。
てきぱきと急ごしらえの担架が用意され、気を失ったままのドリスが中に運ばれて行く。

ドリスの安全を確保すると、急に足の力が抜けてしまった。立っていられなくなり、石造りの階段にすがりつく。
世界から音が遠のいて、それから視界が暗くなった。冷や汗が流れ、自分の苦しげな息遣いが聞こえる。
意識は朦朧としているのに、背中の痛みだけが現実感を伴ってハッキリ感じられた。

「出血している。中で手当てしましょう。」

治療者の声がやけに遠くから聞こえる。
肩を貸してもらって、俺も聖堂の中へとよろめきながら足を踏み入れた。

しばらく目が見えないままだったが、やがてぼうっとした灯りが見えてきた。
聖堂の中は不安そうな人々がひしめき合っていて、各々が持ち込んだ荷物とともに床に座り込んでいた。
一番奥まったところには衝立が並べられており、その向こうに急ごしらえの救護所が見えた。木箱を積んで作ったベッドは手術用らしく、病人や怪我人は床に敷いた毛布の上に寝かされて呻き声をあげている。酷い火傷を負っている人などもいた。
俺が連れて行かれたのは、先に運び込まれたドリスの隣だった。
彼女は運び込まれてから目を覚ましたらしく、壁にもたれてこちらを心配そうに見つめている。

「上着を脱いで、それから私に背中を向けて座って。傷を見せてくれる?」

治療者に言われて、荷物を床におろし、ベルトを外してから上着を脱いだ。
ベルクが荒っぽく応急処置をしてくれただけなので、すでに包帯も緩んでしまっている。
自分の背中は見えないので傷がどんな具合なのかわからないままなのだが、治療者に手伝われながら包帯を解いていたら、ドリスにも傷が見えてしまったらしい。彼女が息を飲むのがわかった。
しまったと思ったが、もう遅かった。すでに出血も乾いていて、包帯を剥がすときに少し難儀した。

「切り傷ともまた少し違うわね。縫っても痕が残ってしまうかもしれない。」
「ムサシ、それはいったい…。そんな傷で私を背負うなんて、なんて無茶を…。」

ドリスが口元を押さえながら震える声で言った。
わざわざ伝えることでもないと思っていたから黙っていたけれども、こんな形で怪我を見せられてはさすがにショックだろう。
傷口を縫合するための道具を持って、治療者が戻ってきた。

「申し訳ないのだけど、薬が不足しているの。ケシの汁は多少あるけれども、火傷や重症の患者の手術で使いたいから。」

つまり、麻酔なしで縫うから気合いで我慢しろということらしい。
今までいろいろと痛い経験をしてきたと思っていたが、今度はこれか。
俺は覚悟を決めて頷いた。

ドリスがずっと手を握ってくれていたけれども、麻酔無しで傷口を縫われるのはかなりの痛みを伴った。
どうせなら気絶してしまいたいとも思ったが、痛すぎてそれどころじゃない。
額からは脂汗が流れ、どうしても身体が震えてしまう。震えたら治療者の手元が狂うのに、と思ったが、自分ではどうしようもなかった。

「うぅっ……!」

我慢できず、思わず呻き声を漏らしてしまった。
目をぎゅっと閉じて、できるだけ痛みに集中しないように頑張ってみたが、それも難しい。
ドリスが乾いた布で俺の額の汗を拭いてくれた。

「あとちょっと。大丈夫、化膿はしてない。応急処置したのが良かったのね。」

俺の気を紛らわそうとしてか、傷口を縫合しながら治療者が声をかけてくれた。
それからさらに数回鋭い痛みを感じたが、必死でこらえているうちにどうやら終わったらしい。軟膏をたっぷり塗りこまれて痛みが少し和らいだ。
続いて、幅広の包帯で上半身をキツく巻かれた。血がついたままだが、上着を着せてもらう。
短剣を吊るしたベルトも元通り身につけた。

「傷はしっかり縫合しておいたから、だいぶ楽になるはずよ。」
「ありがとう。助かりました。」
「痛い思いをさせて悪かったわね。 せめて病院の物資を持ってこられれば良かったのだけれど。」

彼女の話によると、病人や怪我人をここまで連れてくるのに精一杯で、肝心の薬や道具はほとんど病院に残してきてしまったらしい。
取りに戻りたいが人手が足りず、また道中にはアマルジャもいて危険すぎるから、どうしようもないということだった。
これから熱が出るかもしれないから、できれば化膿止めを飲んでおいたほうがいいと彼女にも言われたが、持参してきたのはドリスの薬だけだ。
だから、思わず俺が物資を取りに行くと申し出たら彼女は喜んでくれたし、さすがのドリスも反対はしなかった。
薬が足りないことで、まさに俺が大変な目にあったからだ。
アマルジャは大通りにしかいないから、路地を通って行けば大丈夫とドリスに話して、俺は立ち上がった。

聖堂を出ると、扉の前の見張りに知った顔がいた。親方だ。
互いの無事を喜んだあと、ドリスも一緒に避難してきたことを伝える。
親方はつい先ほど交代に立ったようで、チャチャピとはまだ会っていないとのことだった。

「救護所の物資が足りないらしいので、病院を巡って集めてきます。」
「そうか…。ここはアマルジャとのにらみ合いになっているから俺は手伝えないが…気をつけて行けよ。」

親方と手を振って別れ、急ごしらえのバリケードを越えた。
路地を通って行くとはいったものの、病院は上層に向かう途中にあるから、どうしても大通りは通らなくてはならない。
そこで、暗闇に目をこらしながら壁伝いを慎重に歩くことにした…のだが、いきなり何かでかいものにぶつかった。

「うわ!」
「こら小僧! 何処見て歩いてやがる!」

頭上から野太い声が降ってきた。
恐る恐る見上げると、ところどころ赤毛混じりの短く刈り込んだ黒髪、淡黄色と紫色のオッドアイが印象的なハイランダーがこちらを睨んでいた。まるで気づかなかったのは気配がなかったからだ。

「ご…ごめんなさい。ぜんぜん気づかなくて…。」
「ん? もしかして、さっきおっかさんを背負って走ってった小僧か?」
「あっ。」

思い出した。
そのまま走れ! と励ましてくれた声の主のことを。

「もしかして、あのとき俺たちを助けてくれた…?」
「ああ、アマルジャがぶん投げた槍を飛び蹴りで粉砕したのはこのオレだ。命拾いしたな?」

必死だったから気づかなかったのだが、どうやら相当危ない状況だったらしい。
俺は思わず頭を下げた。間違いなく命の恩人だ。
しかし、あの数のアマルジャを彼単独で倒したとでもいうのだろうか。

「あれだけの数をひとりでやれるのかって顔してるな?」

ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「できるんだよ。オレ様にならな! はっは!」
「はあ…。」

こんな状況にも関わらず、やけに陽気な人物だった。
そうだ。こんなところで立ち話している場合じゃなかった。病院へ行かないと。

「なんだ? どっか用事でもあるのか?」
「救護所の物資が不足してるんです。薬も包帯も足りない。病院へ行ってできるだけかき集めてこないと。」
「おー! おーおー! なんだ、そんなことならオレに任せろ!」

ばーんと力強く背中をどつかれる。
それほど強く叩かれたわけでもないが、背中の傷に直撃して脳天まで痛みが突き抜けた。

「いいっ、いってぇー!」
「はあ? そんな力一杯叩いたわけじゃ…あっ!」

痛みに悶絶してしまったから、彼も俺の上着に滲んでいる血痕に気付いたのだろう。
申し訳無さそうに謝ってから、あらためて物資回収への協力を申し出てきた。
男は自らをシグと名乗り、エラリグ墓地からの抜け道を使えば、大通りを通らずにここから近い二箇所の病院に行けると話してくれた。
片方の病院をシグが受け持ち、もう一方は俺が受け持つ。物資を回収したら再びここで落ち合おうと約束をした。

はたして、俺はあっさりと目的の病院へたどり着くことができた。
扉を開けて中に入る。当然だが人の気配はなく、あわてて避難したときに落としたのか、床には様々な物が転がったままだった。
病院の中で適当な大きさの麻袋を見つけ、あちこちに転がっている薬瓶を拾い集めて袋に放り込む。
診察室のほうにも行って、清潔な包帯や布、治療道具を片っ端から放り込んだ。よし、このくらいで十分かな。

麻袋を担いで、シグと落ち合うために急ぎ足で病院を出ると、ありえないことに俺の正面に獣人がいた。単独だ。
獲物を求めて大通りから上層方面へあがってきたところで、ばったりと俺に出くわしたわけだ。
驚いている場合じゃない。足を止めたらいつ襲ってくるかわからない。
横目でアマルジャが杖も槍も持っていないことを確認しつつ、俺はいきなり全力で走りだした。
一対一は歩が悪すぎる。せめてシグがいればなんとかなるかもしれない。

だが、その淡い期待は、やつの攻撃の風圧であっさり吹き飛んでしまう。
丸腰なんじゃない、格闘術の使い手か。
あやうく直撃は免れたが、食らっていたら一撃で骨が折れてもおかしくなかった。
なんて馬鹿力だ。俺は心底ぞっとした。

駆け足ではこちらのほうが早いが、アマルジャの歩幅は大きく、すぐにでも追いつかれてしまいそうだった。
走りながらときおり振り返ると、少しずつ距離が縮まってきているのがわかる。

「シグ! シグ!」

もうすぐ合流地点だ。一抹の期待を込めて名前を呼んだが、シグの姿はなかった。
物資集めに手間取っているのか、それとも病院へ行く途中で彼もアマルジャに遭遇したのか。

こうなったら仕方ない。運んできた荷物を壁際に置いて、腰の短剣を抜き放つ。
シグの到着までせめて時間稼ぎを、と思ったのだが、こうしてアマルジャと対峙してみると、俺とは倍以上の体格差があった。
ありえないほど腕が太く、そして大きい。あの拳で殴られでもしたらと思うとぞっとする。
なんとか勝機を見出すとしたら、懐に飛び込んで短剣を身体に突き刺すしかない。

アマルジャは余裕たっぷりの態度で、ゆっくりとこちらに迫ってくる。小動物を弄んでいるつもりなのか。
砂漠のミコッテ族はさんざんアマルジャと戦ってきたらしいが、それでも多くの犠牲者が出たらしい。
体格差がありすぎる。私はアマルジャに出会ったら一目散に逃げるね、と、母は自嘲気味に言っていたっけ。

アマルジャが大きく腕を振り被った隙に、腰を落として懐に入り込む。
こちらは素早さを武器にするしかない。短剣を平らに構え、肋骨の隙間を狙って心臓に突き立てようとした刹那、もう片方の腕で身体ごと掴まれてしまった。さきほどの構えはフェイントだったらしい。

ギリギリと締め付けられ、俺は苦痛の声をあげた。
必死でもがき、足をバタつかせてみたが、蹴りがアマルジャの身体に届くわけもない。
肺からは空気が絞り出され、苦しさのあまり声も出せなくなり、空気を求めて喘いだ。
全身の骨が軋み、ただならぬ痛みに気が遠くなる。
それでも短剣だけは手放すまいと頑張っていたが、万力のような力で締めあげられ、いまにも気を失ってしまいそうだった。

「小僧!」

アマルジャの背後からシグの声が聞こえた。気をとられたアマルジャの手の力が少し緩む。
一瞬の隙をついて抜け出し、ふたたび短剣を構えて力いっぱいやつの胸に突き刺してやった。
筋肉と脂肪を貫くぞっとする手応えを感じた直後、アマルジャが吠え、腕を思いきり振りまわした。とっさに両腕を交差して頭をかばったが、気づいたときにはおもちゃのようにふっとばされて、石畳の上に転がっていた。

霞んでいく視界の中、シグの鮮やかなまわし蹴りが決まり、アマルジャの巨体が沈むのが見えた。
頭にかかと落としを食らって、屈強な獣人もついに沈黙する。
胸には俺の短剣が突き刺さったままだった。

「間一髪だったな! 間に合って良かった。」
「俺…、小僧じゃないよ…。」
「だってお前の名前聞いてねぇし。あっ! こら! 小僧! チビ! 気を失うんじゃない!」

なんだかさんざんな言われようだと思ったが、さきほどの衝撃で脳震盪を起こしたのか、これまでの疲れがどっと出たのか、安堵すると同時に俺はあっさりと気を失ってしまった。



気づいたときには、俺はふたたび薄暗い聖堂の中にいて、毛布の上にうつ伏せに寝かされていた。
相変わらず背中はズキズキと疼くし、アマルジャの攻撃をかばった両腕も、打ち身を作った場所も痛い。満身創痍だ。
頭を撫でる感触に気付いて顔をあげると、ドリスが傍らにいた。
わずかな灯りに照らされて、はしばみ色の瞳が哀しげに光った。顔色も良くないようだ。

「ドリス…。」

掠れた声しかでなかった。
心配させまいとしているのに、彼女に傷は見られてしまうし、張り切って出て行けば気絶して運び込まれるし、最悪だ。これで心配するなというほうが無理だろう。
身体を起こそうとしたら、頭がひどくクラクラした。眠っている間に薬を飲まされたのか、不自然な眠気が襲ってくる。少なくとも、持ち帰った物資はちゃんと必要なところへ届いたようだった。
ドリスが黙って首を左右に振った。そのまま横になっていろということらしい。

「ごめん…。いろいろ、黙ってて。」

ドリスに知られてしまった。心配をかけてしまった。
彼女の目を見ているのが辛くてたまらず、俺は思わず目を伏せた。

「謝りたいのはこっちよ。あなたは私のために一生懸命だっただけ。でしょう?」

黙っていた。言葉が出てこなかった。
深く詮索しない彼女の思いやりがかえってつらかった。
胸がいっぱいになるのと同時に、どうしてか涙がこみあげてきた。手の甲で顔をこする。
くそ、なんで涙なんか。自分ができることをやっただけだ。後悔なんてしていないのに。

「だけど、もう、私のために無理はしないで。約束して。」

俺の拳にドリスが手を重ねてきた。
凍えた俺を温めてくれ、幾度となく俺の頭を撫でてくれた、このうえなく優しい手。

「私ね。」彼女は小さくつぶやくように言った。
「死ぬのは怖くないの。だって、大好きな人が私のことを待っていてくれるんですもの。だから、あなたはもう心配しないで。」

そう言って、ふたたび俺の頭を撫でる。
勉強を頑張ったときのように。レオンと一緒に花を摘んで帰ったときのように。
何度も、何度も。

「生きるのを諦めかけていたけれども、あなたのおかげで最後まで頑張れたって、レオンに胸を張って言えるわ。だから、大丈夫。」

ゆっくり見上げると、彼女はなにか吹っ切れたかのように優しく微笑んでいた。
笑っているのに、瞳から涙が溢れる。頬を伝って、ぽろぽろとこぼれた。
無意識に彼女の涙を拭こうと手を伸ばしたけれども、横になっているせいで届かなかった。
無駄な努力をしていることに気付いたのか、彼女は俺の手を両手でそっと包み込んだ。

「あなたも私を守るために頑張ったって、そう伝えておくわね。だから、もう泣かないで。」

彼女に言われて、自分も涙をこぼしていることに気づいた。
なんで、俺、泣いてるんだろう。今度こそドリスをちゃんと守ることができたのに…。
薬でぼうっとした頭で、ぼんやりと考える。

ああ、そうか。
ドリスも眠いんだ。ゆっくりと寝かせてあげなくちゃ…。
彼女との別れが迫っていることを感じていたが、不思議と恐怖心はなかった。

「ムサシ、あなたは私たちの自慢の息子よ。愛してる…。」

ドリスはゆっくりと瞳を閉じて、それから深い溜息をついた。
顔に涙の跡が残っていたが、口元には微笑みを浮かべて、なにか幸せな夢を見ているかのようだった。

あれは、いつのことだったか。
ひどい嵐の夜に俺が雷に怯えていたら、彼女が眠りにつくまでずっと手を握っていてくれた。
最後の夜に子守唄を歌ってくれた母と、ドリスの姿がにじんで重なった。

「おやすみ、母さん…。」

ようやく、言えた。
ドリスにもちゃんと聞こえただろうか。



チャチャピ、親方と再会できたのは、それからさらに数時間後のことだった。
いや、正確な時間はよくわからない。ずっと聞こえていた地響きがいつの間にか止んでいて、日も差し込まないのに朝がきたという感覚があった。そして自然に目が覚めた。
俺はドリスに寄り添うように身体を丸めて眠っていた。ドリスも深く眠っているようだったが、すでに体温が下がっていて、もはや二度と目覚めないだろうということはわかった。

何度か様子を見に来ていたのだろう、親方とチャチャピがいつのまにかそばに立っていた。
ふたりの手を借りながら身体を起こし、壁にもたれたまま静かに眠っているドリスを毛布の上に寝かせる。
胸のうえで両腕を組ませた彼女は、幸せそうな顔をしていた。

「最期にそばにいてやれて、良かったな。」

太い腕で顔を拭いながら親方が言った。チャチャピはさっきから泣きじゃくっている。

「ねえ、でも、きっと良い夢を見てるんだわ。笑ってるもの。」
「レオンに会えたのかな。最後まで頑張ったって、胸を張って言うんだ…って。」

胸が詰まってそれ以上何も言えなくなってしまった。
ドリスは幸せだったんだ、だからいいんだと思ったけれども、心にぽっかりと穴が開いてしまったようで、息をするのも苦しかった。

「もういいんだ、もう我慢するな。」

親方が俺の肩を優しく叩く。黙って頷いて、それから深く深呼吸した。
油断するとまた泣いてしまいそうだったけれども、ふたりには涙を見せたくなかった。

「外はどうなってる?」
「夜明けまではアマルジャたちが断続的に襲ってきたんだがな。パタリと襲撃が止んだ。でかい火の玉ももう飛んでこなくなった。しかし上層のほうでは尖塔が崩れて大騒ぎだ。火事も起きていたし、かなり被害が出ているだろうな…。」
「バリケードを大門のほうにも作って防備を固めようとしているところなの。今は住民が分断されているから。」

そうか、住民が避難しているのはここだけではないはず。
ウルダハは高い壁に囲まれているから、大門さえ守りを固めてしまえば、気まぐれに攻めてくるアマルジャから街を守ることも容易い。
そこまで考えて、そういえばシグはあれからどうしただろうかと思った。
親方に、気絶した俺を運びこんできた人物を知らないかと尋ねたところ、物資と俺を荷物のように担ぎ込んでから、また外へ飛び出していった男を見たと聞かされた。うらやましいくらいタフだ。

しっかり眠れたことだし、それに今は独りになりたかった。
親方とチャチャピに外の空気を吸ってくると伝えて、俺は聖堂の外へ出た。

ずっと暗いところにいたので、はじめは外の眩しさに目が眩んでしまった。
聖堂の前のバリケードは煙をあげてくすぶり、その向こうにはアマルジャの死体も転がっていた。
大通りのあちこちに破壊の跡が残り、酷い有様だった。
大門のそばまで歩いていくと、はやくも犠牲者の躯が集められていて、その近くでは生き延びた家族が嘆いていた。
石畳のふちに座り、その様子をぼうっと眺めていたら、頭上から声をかけられた。

「よっ! 目が覚めたか! お前と荷物を一緒に運ぶのはけっこう骨が折れたんだぞ?」

見上げると、顔を煤だらけにした笑顔のシグが立っていた。
なんだろう、脳天気に振舞っているのに、彼からは修羅場を超えてきた凄みが感じられる。
もっと酷い状況を見てきたからこそ、こんな有様でも生きてさえいれば幸運だと思えるのかもしれない。

「ん? どうした、浮かない顔をして。」
「母さんが…。」

どうしてシグには素直に話そうと思ったのか。
親方やチャチャピのように、強がる必要が無いと思える相手だからなのか。
いったん口を開いたら、ずっとこらえていた涙が不意にこぼれた。

ドリスが今しがた旅だったこと。
彼女に知られるのが怖くて、ずっと嘘をついていたこと。
母さんって、もっと呼んであげたかったのに、どうしても呼べなくて、彼女を落胆させてしまったこと。
もっと生きていて欲しかった。恩返しをしたかった。
自慢の息子だって言ってくれたのに、俺は彼女にもうなにもしてあげられない…。

後悔を語っていたら、いつの間にか嗚咽を漏らしていた。
情けない、格好悪いと思ったけれども、どうしても止められなかった。
シグはただ黙ってそばにいてくれたが、やがてとなりに腰を下ろした。子どものように泣いている俺の肩に腕をまわして、それから静かにつぶやく。

「お前の気持ち、よくわかるよ。オレも妻と子どもたちが死んだとき、同じ気持ちだったからな。」

空は鮮やかな朝焼けに染まり、昇りゆく朝日が大門と俺たちをくっきりと照らしだしていた。

⇒第十二話「天空を渡る風」

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